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- 2011/9/8 7:00
米国同時多発テロ発生直後、NY株式、債券市場は機能不全状態に陥り、株式、債券、ドル、原油が暴落する中で、唯一、金価格だけが急騰した。
あの日のことは今でも鮮明に覚えている。
夜10時頃帰宅しテレビに映る衝撃的映像を見つつ、筆者の頭をよぎったのは「あの金塊はどうなった」という事。あの崩壊したワールドトレードセンター地下6階にはNY金取引所の金庫があり、在庫の金塊8トンが保管されているのを知っていたからだ。
セキュリティー上、報道はされなかったが、あとで関係者から聞いたところ、金塊の形状こそ凹んでいたが8トンの重量はきっちり残ったまま回収されたそうだ。
このときほど「有事の金」という言葉を実感したことはない。
実は、その1カ月ほど前、筆者は某メディアから取材を受けていた。そこで出た記事の見出しが「有事の金は死んだ いまや有事はドルの時代」。その1カ月後、同じ記者から取材され出た記事のタイトルは「有事の金 復活」となっていた。 そして2001年9月11日をキッカケに金市場を取り巻く経済環境は一変する。以下の表にまとめてみた。
1990年代 | 2001年9月以降 |
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1990年代には、米ソ冷戦の終焉(しゅうえん)、ベルリンの壁の崩壊により「平和の配当」が生まれた。その恩恵を最も享受したのが米国。インターネット革命により労働生産性は飛躍的に向上し、米国経済はインフレなき持続的経済成長を実現する。財政は黒字となり、有事にも米ドルがあれば大丈夫といわれた。有事の金などもはや時代遅れで用済み。欧州各国の中央銀行は大量の金売却に走り、1999年には金価格が250ドルの底値をつけるに至る。
それが2001年9月11日を境に180度転換。
中東では地政学的リスクも高まり、軍事予算や対テロ対策費が急増し「平和の配当落ち」のような状況になった。米国の財政も経常収支も「双子の赤字」となり、ドル離れが進む。有事のドルという発想は後退し、有事の金が復活したわけだ。
金価格も現在に至る10年間以上の長期上昇トレンドに突入。いまや250ドルの底値の約7倍に当たる1800ドル台。
国内でも1999年にはグラム1000円を割り込み900円台まで下がっていたが、直近で4700円台。円高をこなして約5倍である。
実は、この有事の金への変遷を予測していたかのように、当時、世界で唯一、死んだはずの有事の金をかいまくったのが日本の個人投資家だ。金価格が底値圏に沈んだ1999年。日本の金投資需要は年間106トン。2位のインド(71トン)を上回りダントツの世界一であった。
その日本が、いまや金輸出国。国内金投資需要はマイナス50トン(2010年)。つまり圧倒的に投資家の売りが買いを上回る状況だ。世界国別需要量ランキングでも堂々(?)の最下位である。
しかし、この統計は日本人が金の世界では卓越した長期投資家であることをも物語る。底値で買って、高値で売っているのだから。
対して欧米の投資家は底値で売りまくり、今になって7倍の値で買い戻している。
この明暗をはっきり分けることになったキッカケこそが、米国同時多発テロであった。
豊島逸夫(としま・いつお)
ワールド ゴールド カウンシル(WGC)日本代表。1948年東京生まれ。一橋大学経済学部卒。三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)入行後、スイス銀行にて貴金属ディーラーとなる。同行で南アフリカやロシアなどから金を買い、アジアや中近東の実需家に金を売る仲介業務に従事。さらにニューヨーク金市場にフロアトレーダーとして派遣され、金取引の現場経験を積む。その後東京金市場の創設期に参画。ディーラー引退後、WGCに移り、非営利法人の立場から金の調査研究、啓蒙活動に従事。金の第一人者であり、素人にもわかりやすく金相場の話を説く。
ワールド ゴールド カウンシル(WGC)日本代表。1948年東京生まれ。一橋大学経済学部卒。三菱銀行(現・三菱東京UFJ銀行)入行後、スイス銀行にて貴金属ディーラーとなる。同行で南アフリカやロシアなどから金を買い、アジアや中近東の実需家に金を売る仲介業務に従事。さらにニューヨーク金市場にフロアトレーダーとして派遣され、金取引の現場経験を積む。その後東京金市場の創設期に参画。ディーラー引退後、WGCに移り、非営利法人の立場から金の調査研究、啓蒙活動に従事。金の第一人者であり、素人にもわかりやすく金相場の話を説く。
日経BP社から6月21日、ムック本『豊島逸夫が読み解く金&世界経済』が発売されました。
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