【第26回】 2011年7月7日
民主党政権が鳴り物入りで開始した「子ども手当」は、東日本大震災の復興財源確保のため、本格的な制度の見直しが検討されている。廃止・制限などにより不足している復興財源を補うことはできるが、回復傾向にある合計特殊出生率に冷水を浴びせかねず、一層深刻さを増す少子化問題や財政構造が厳しい社会保障問題を解決困難にする恐れもある。では今後、財源確保が厳しくなるなか、少子化対策はどのように行われるべきか。内閣府「少子化社会対策推進会議」委員も務める東レ経営研究所ダイバーシティ&ワークライフバランス研究部長・渥美由喜氏に、少子化問題解消のために政府が行うべき施策、そして企業や個人に求められる対策を聞いた。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン 林恭子)
日本の子育て支援はOECD加盟39ヵ国38位
「子ども手当」再考前に年金給付の見直しを
――東日本大震災の復興資金の捻出先の1つとして「子ども手当」が挙げられ、同制度の見直しが急務となっている。支給額の減額や所得制限、廃止などが囁かれる中、このタイミングでの同制度見直しをどう捉えているか。
あつみ・なおき/東レ経営研究所 ダイバーシティ&ワークライフバランス研究部長。1968年生まれ。専門は人口問題、社会保障、労働雇用。内閣府の「少子化社会対策推進会議」委員も務める。著書に、『少子化克服への最終処方箋』(共著)、『イクメンで行こう!』等がある。
現在、日本の人口ピラミッドは、逆三角形で不安定な状態である。それを何とか安定させようとするのが、子ども・子育て支援の意義である。しかし、「子ども手当」などで子育て支援に関する財政支出を先進国並みにする動きが高まっていた最中、震災によって社会保障制度改革の“足腰”の部分が見直されるのはタイミング的に最悪だ。
もちろん震災対応は必須であり、子ども手当がその財源とされやすいのは理解できる。ただその前に、我が国の社会保障給付のなかで非常に手厚い高齢者手当である年金制度にメスが入れられるべきである。実際、日本の高齢者給付に関する支出額(GDP比)は8.8%(OECD平均6.0%)で、OECD加盟39ヵ国中7位と上位だ。子ども手当に所得制限をかける案も出ているが、年金こそ所得制限をかけるべきであるし、支給開始年齢もさらに引き上げるべきではないだろうか。にもかかわらず、現在はあまり整合的ではない議論がなされているように感じる。
――「子ども手当」「高校無償化」などを大々的に打ち出した民主党政権によって、子育て支援は改善されたといえるだろうか。
民主党が掲げた「子育て・教育を社会全体で支える」という理念は正しい。今まで、年齢制限・所得制限がある児童手当の受給世帯以外は、子育てへのサポートが何もない感覚が強かった。このことからも、これら施策で子育て支援環境は改善されたといえるだろう。しかし、方向性はよかったとはいえ、もう少し賢いやり方があったのではないか。
現状の子ども手当のような現金給付では、「子どもに給付」という名のもとに、親が自らの娯楽のために消費をする可能性もある。だからこそ、私は子ども関連の支出に使途を限定するバウチャーの方が政策効果は高いと論じていたが、結局は雲散霧消してしまった。方向性は正しかっただけに、非常に残念である。
また、制度の中身だけではなく、日本の子育て支援における社会保障給付の水準が依然として低いことは大きな問題である。我が国の子育てと教育への公的支出は、2007年時点で4.4%と、OECD加盟39ヵ国中38位だった(GDP比、家族給付と初等・中等・高等教育への支出を合計。OECD平均は6.9%)。昨年から子ども手当が支給されてきたが、実際には当初の半額支給(1万3000円)でいずれにせよ十分ではなく、震災の影響でさらに後退すれば圧倒的にその水準は低くなる。
確かに、小泉政権時代に猪口邦子氏が担当相として少子化対策を行って以来、自公政権も民主党政権も子ども・子育てにウエイトを置く方向にあって環境も改善しつつあり、出生率も2005年に1.26を記録して以降、改善傾向にあるのは事実だ。ただ、出生率が人口機会水準である2.07を上回らなければ、人口は基本的に減り続けていく。2.07の出生率を維持するには、毎年10~15兆円の公的支出が必要だと私は考えている。子育て支援の絶対水準は、未だに十分ではないことを忘れてはならない。
「所得制限」は晩婚晩産の共働き夫婦に
“応援しない”というメッセージを送りかねない
――「子ども手当」の見直しの1つである、所得制限の導入についてどう考えるか。
子ども手当は子どもを社会的に支援するものだが、「親に必要性があるか・ないか」で所得制限を入れれば、“親手当”となってしまい、本来の理念とはかけ離れることになる。
しかも、晩婚晩産で結果的に高所得になっている女性や共働きの人たちは、子ども手当によって、初めて自分たちが子育てをしながら仕事をがんばることを認めてもらえたと感じていた。しかし所得制限によって弾かれてしまえば、子育てしながら仕事をがんばることを社会的に全く応援してもらえないことになる。そのことに彼らは、すごくがっかりしているし、ネガティブに捉えている。
また、先ほども述べたように出生率が改善しているのは、現在、若いときに産みそこなった晩婚晩産の人たちが“産み戻し”をしているためである。そういう人たちに、「産んでも応援しない」というメッセージを送ることになるため、基本的に所得制限は入れるべきではない。
子どもは、親の所得水準を選んで生まれてきているわけではないし、高所得で余裕があるなら支給しないという考え方は一面的だ。子育てしながら働くのは本当に大変なこと。今、首都圏を中心に待機児童が多いが、所得水準が高いと後回しになりがちだ。そうなると認可外の保育園に入れざるを得ず、認可の保育園よりかなり高額の金銭負担を強いられる。そうしたことからも、高所得なら支援が不要というのは明らかに誤っている。高所得層で専業主婦世帯ならば、もらう意義はないかもしれないが、共働き世帯ならば、きちんと支給されるべきだろう。
社会保障制度の議論は
「適正人口」から逆算して考えるべき
――社会保障と税の一体改革の議論が行われるなか、消費税増税の議論も高まっている。政府・与党はその議論を先送りしている感があるが、本来、どのように改革が行われるべきか。
まず一番大切な概念は、日本の社会システムを維持するための「適正人口」の水準を明らかにすることである。今のままでは、100年後に日本の人口は3分の1になってしまう。そうすれば、年金・介護・医療制度など、現状の社会保障制度は維持できない。だからこそ私は、「8000万人~1億人」を適正人口とし、現在の1億2000万人の人口がその水準で下げ止まるような施策を打たなければならないと考えている。
適正人口を維持するために、出生率をどの水準まで上げ、そのために子どもを産みたいのに産めないという人のギャップをどう埋めるのか。そういう議論や戦略が抜け落ちたまま、社会保障制度や税制を論じても無意味だ。
現在の社会保障制度をめぐる議論を見ていると、給付抑制にかなり甘い部分がある。給付と負担の理論は、給付抑制を先に議論し、その後にそれでも賄いきれない部分をどう負担するか考えるべきである。
直近の税制の将来推計は、「給付抑制しなくてもよい」という見通しを立てるために甘い数値が出されている。しかし本来は、きちんとした数字で、給付抑制をドラスティックに行ってもこれだけ拠出を増やさないと賄えない、だから消費税をこれだけ上げるという順を追った議論をしていくべきだ。場当たり的で、長期的な視点に立たないままでは、近く増税をしても十数年後さらに増税することになってしまうだろう。
1人3役「職業人」「親」「地域人」を
少子化対策は個人の果たす役割も大きい
――子育てしやすい環境をつくるため、社会全体や企業はどう変わるべきだろうか。
現在の日本では、子どもたちが社会全体で育てられているかというと、そうとは言い切れない。ただ、タイガーマスク運動や被災地の子どもに向けた支援や社会的な関心を見ていると、日本社会のお互い様という意識、思いやりはまだ失われておらず、子どもを育てる社会を取り戻しつつあるように思う。
しかし、被災地の子どもたちの支援は今だけはなく、成人するまで求められる。また、支援が必要なのは被災地の子どもや施設に入っている子どもたちだけではない。こうした意識を一過性に留めず、永続的なものにして社会的に支援することが必要だと思う。
また、この震災を機に、企業が被災地へのボランティア休暇を認める動きは、大きな変化だ。これまで論じられてきたワークライフバランスは、社内の従業員の生活支援に留まっていたが、被災地など社外の生活支援にも目が移った。こうした「内向きのワークライフバランス」から「外向きのワークライフバランス」への変化はよい機運で、これを永続的にしていくことが企業にとっても重要だろう。
――実際に男性が仕事をしながら子育てをするには、今後どのようなことがポイントとなるか。
現在、私自身は5歳と1歳の子どもの子育て中で、父の介護もある。ただ、そうした“制約”がありながら働く男性はこれから増えていくはずだ。震災による夏の節電は典型だが、制約を前提としていかに仕事を業務時間内に終わらせるかに取り組まざるを得ない。
今回の節電は、制約を当たり前にするという意味では、ワークライフバランスには追い風だと考えている。なかには長期休暇や平日休暇になる業種、業界もある。そうすれば、今まで以上に、子育てをやらざるを得なくなる。うまくこの夏の節電対応を自分の家庭に使う時間に結びつけていくことが重要だろう。
もちろんこの意見に対して、批判もあるかもしれない。震災によって仕事がなくなり、ワークライフバランスなんて言っていられない、業界によっては一層忙しくなるところもあるだろう。しかし実際、不夜城のように深夜まで煌々と明かりが点いているオフィスは今、住民から非常に厳しい視線にさらされている。「社会的な責任に対して鈍感な企業だ」と、実際に住民が当局に密告しているケースもあるという。そうした意味で、“ワーク・ワーク”の企業はリスクが高まる可能性がある。
ワークライフバランスが正しい・正しくないではなく、やらざるをえないのであれば、仕事の成果が上がるようなやり方にすべきで、ライフの時間は「仕事をしない時間」ではなく、「家族とコミュニケーションをとる時間」にすることも必要だ。働くのは家族の支援があってこそ。家族に背を向けて孤立すれば、いい仕事はできない。ピンチをチャンスに結びつける、子育て中の男性にとって震災は、それぞれの人生に大きなインパクトを与えるのではないだろうか。結婚件数も増えている一方で、離婚件数も増えているという現実もある。夏場に向けて、もう一度家族の絆を取り戻すチャンスにしていただきたい。
――子育て支援に向けられる財政が縮小するなかで、出生率を上昇させる方法はあるか。
個人が「1人3役」、つまり「職業人」、「親」、「地域人」という役割を果たしていくべきだと考えている。地域人の部分のウエイトが高まっていくと、子どもはもう少し生まれるかなと思う。
先進国は多額の財政支出をしなければ少子化に歯止めがかからないが、途上国は財政支出などなくても子どもがたくさん生まれている。それは、地域全体で子どもを育てる環境があるからだ。現在の日本は親が育てることが前提になっており、2人以上の子どもの教育費が負担できないから産み控えしている人が多いのだとすれば、それはあるべき姿ではない。産むまでは親の責任だが、育てるのは社会全体で、と切り替えるのが1つの少子化対策だと思う。
私自身は、18年前から週末に地元の公園で子どもたちと遊ぶ「子ども会」を主催してきた。高度経済成長期以降、男性が会社人間となり、地域人としてのウエイトが低くなっている。そのため、定年後の男性は地域社会に居場所がなく、惨めな日々を送る人も少なくない。ただ、これも日本社会の長い歴史のなかで見れば、一時期のあだ花で、地域で自分たちの役割を見つける人が増えるようにすべきであり、この震災を機にそうなりつつあるのではないか。
首都圏でも帰宅難民になった人が多かったが、私自身も周囲にもママ友たちが子どもを迎えに行ってくれたことで助けられた人たちが沢山いる。この震災で、地域のネットワークはすごく重要だと気づいた人は多い。地域人としての役割を果たすことは、自分たちにとって保険でもある。その“投資”に時間をかける人が増えていってほしいと思う。