「対応が遅い」「対策が足りない」――。円相場の急上昇で、政府や産業界から不満の声にさらされた日銀。15日に踏み切った円売り介入で円高は一息ついたものの、今後も予断を許さない情勢。与党内からは「日銀法を改正せよ」との声もあがる。なぜ日銀は後手に回ったのか。
為替との「距離」に腐心
「我々は為替相場の直接のコントロールは任されていない。その役目を担うのは財務相の為替介入だろう」。
急激な円高に見舞われた日本。批判の矢面に立たされることが多かった日銀の「機動的」とは言えない対応の根底にあるのは、日銀幹部が語るこんな思いだ。
米景気の先行き不安が増すなかで、米連邦準備理事会(FRB)は利上げの模索を封印し、金融緩和路線に転じた。8月10日には金融緩和維持へ追加措置を実施。米長期金利が低下したことで、日米金利差の縮小観測から円高に弾みがついた。
「日銀の金融緩和姿勢が足りないから円高になる」。8月以降は、こんな日銀への不満が膨れあがっていった。
日銀幹部が語るように、円高を直接食い止めることは日銀の業務ではない。日本では、財務相が介入の権限を持ち、タイミングや金額を決定する。日銀はその指示に基づき、通貨の売買の実務を遂行することになっている。
日銀の立場からすれば、円高が企業マインドを冷やし、景気自体を下振れさせるリスクが高まりそうになって初めて、追加緩和などの対応が検討の俎上(そじょう)にのぼる。
ただ、日銀が「為替相場との距離」をつかみかね、金融政策の検討が遅れていたのは確かだ。
慎重な姿勢の背景には過去の経緯がある。1971年のニクソン・ショック、85年のプラザ合意――。日銀は急速な円高が進むたびに政治圧力に押され、金融緩和を推し進めた。しかし、これがその後のインフレやバブルを助長した面は否めない。
白川方明総裁は「低金利が将来にわたって継続するとの予想は、バブル発生の必要条件である」(16日の講演)との主張を繰り返す。日々変動する円相場に「振り回されすぎてはいけない」との主張は正論ではある。
だが、円高の影響の見極めがつくまで待つと、どうしても判断が遅れがちになる。どんどん進む円高と、その影響を見極めるまでの時間。そのタイムラグが、日銀と市場、政治、産業界との間に大きな溝を生む。
「待ちの姿勢」自体がさらなる円買いを呼び込む悪循環を「もっと早期に食い止めるすべはあったのではないか」。行内でもそんな声はある。
「政治からの独立」も遅れ招く
日銀がようやく追加緩和の検討に本腰を入れ始めたのは、8月下旬以降。円高を嫌気して株安がとまらなくなってからだ。日経平均株価が9000円台を割り込み、企業マインドの悪化が現実味を帯び始めていた。
このタイミングまでずれ込んだのは「政治との距離」に縛られたことも要因にあげられる。「政治からの独立」へのこだわりが早期の対策に二の足を踏ませた。
日銀の金融緩和などを巡る最近の動き
8月11日 円相場、1ドル=84円台後半に急伸
8月12日 野田財務相が円高けん制、日銀は総裁談話
8月23日
菅首相と日銀総裁が電話で協議
8月24日 円相場が15年ぶりに83円台に上昇
8月25日 野田財務相、円売り介入辞さない姿勢示す
8月26日 日銀の白川総裁、米国出張に出発
8月27日 菅首相「総裁と会い、金融緩和に期待」と発言
8月29日 白川総裁、出張予定を1日早め帰国
8月30日 日銀臨時会合、追加緩和を決定
同 政府が経済対策の方針策定、首相と総裁会談
9月7日 日銀会合で現状維持も「必要時に適切対応」
9月14日 円相場が一時82円台まで急伸
9月15日 政府・日銀、6年半ぶりに円売り介入を実施
同 日銀総裁談話、介入資金の放置姿勢示す
9月17日 日銀が介入資金を活用、市場の資金量2兆円増
8月初旬、日銀と首相官邸は同月の中旬をメドに菅直人首相と白川総裁との会談を調整していた。日銀は当初、通常の定期会談の一環として前向きに応じていた。だが、事前に日程を含めた会談の予定が外部に漏れ、市場やメディアが騒ぎ出すと一転、会談を渋り始める。両者は23日の電話協議でしのいだが、たった15分とあって市場の失望を生み、かえって円高を加速させた。
「総裁は首相と会うたびに追加緩和という“お土産”を持ってくる」。複数の関係者によると、日銀はこんな構図を避けようとしたという。
“お土産”は昨年12月にあったばかり。当時の鳩山由紀夫首相と総裁が会談する前日に臨時会合を開き、追加緩和を決めたという経緯がある。こうしたことを繰り返すと独立性を大きく傷つけるという判断だ。
しかし、この判断は逆に独立性を脅かすことになる。円高基調が止まらず、より強い政治圧力を呼び込むことになったからだ。
当初、9月6―7日の定例会合での追加緩和を模索していた日銀。そのわずか1週間前、8月30日に臨時会合を開くことを政治の力で余儀なくされた。
白川総裁は、ゼロ金利や量的緩和政策に慎重
「日銀総裁が(米国出張から)帰国され次第お会いし、機動的な金融政策の実施を期待する」。8月27日の菅首相のこの一言が決定打となった。出張中の総裁は帰国を1日早め、帰国の翌朝に臨時会合を開くドタバタ劇を演じるはめになる。民主党代表選に小沢一郎氏の出馬がとりざたされ、菅首相が実績づくりを焦ったことが大きいとされ、日銀の「独立」は大きく揺らいで見えた。
それでも動き始めた日銀。ここでは「白川理論」が自らを縛った。
完ぺきな理論が足かせに
8月30日の臨時会合で決めたのは、金融機関に低利で資金を供給する「固定金利オペ」の拡充。これに対し、市場の反応は冷淡だった。予想の範囲内の措置だったため、円高は止まらない。そして9月6―7日の定例会合。円高は続いていたが、一段の追加措置は見送った。「必要と判断される場合には適時・適切に対応する」と追加緩和を示唆したものの、「緩和に消極的」との印象をぬぐい去るには至らなかった。
重い腰をあげた日銀だったが、中身が「小出しにすぎる」との批判が高まった。
「ゼロ金利は副作用が大きい」「量的緩和政策の景気刺激への効果は限られる」――。白川総裁が常々発する「理論」が「小出し」の背景にある。
理論派でならす総裁。バブル崩壊後、日銀が様々な非伝統的な金融政策を進めてきた経緯を日銀の中枢で身をもって体験してきた。集大成として京大教授時代には「現代の金融政策~理論と実際」という大著を残した。
完ぺきに構築された理論体系が「逆に新しい挑戦の足かせになっている」(エコノミスト)。こんな指摘がたびたび聞かれる。
「理論」に沿う範囲で残る数少ない緩和カードを温存したいという姿勢が「小出し批判」につながっているのは間違いない。「有効な手立てがない」。日銀幹部はこう口をそろえる。
ただ、ここに来て変化の兆しも出てきた。
緩和姿勢アピールに変化も
政府・日銀が6年半ぶりに踏み切った15日の円売り介入。日銀は金融市場に出回る介入資金を吸収せず、事実上、放置する「非不胎化」の措置をとる意向を示した。金融緩和を強めて円安効果を補強する役割があるとされ、市場で注目を集めた。
実は「非不胎化の議論は無意味」というのが日銀の本音だ。
介入では政府の代理として日銀が民間銀行からドルを買うことで、市場に円資金が出回る。ところが、政府は最終的に介入に必要な円の資金を市場から吸い上げて調達する。介入で出回る円資金を日銀が放置しても、結局は市場の資金量には影響しない。資金供給を増やすことにはならないのだ。
「白川理論」からすれば、意味の見いだしにくい話といえる。さらに市場では「為替相場」との距離が近い政策とみなされる。政府の介入と一体化した対応は独立性の観点から異論もありうる。
それでも、あえて「非不胎化」をちらつかせるのは緩和姿勢をアピールしたいという日銀の強い意志の表れといえる。
「厳密な議論をしても仕方ない」。白川総裁は割り切ったとされる。
では、日銀はこれから大胆な金融緩和策に踏み出せるようになるのか。それを占ううえで、「政治との距離」は今以上の意味を持ちそうだ。
新たな政策運営の模索不可欠
政治の圧力はじわじわと日銀法改正論議へと発展しそうな気配をみせている。小沢一郎氏は民主党代表選の最後の演説で日銀法改正に言及した。詳細は不明で、日銀内では「国会議員票を集めようとした結果」との見方がもっぱらだが、法改正論者が党内で無視できない勢力になっていることの証しでもある。
あるエコノミストは「政治の無策、機能停止の裏返し」と指摘する。明確な哲学を欠いた法改正は、議論次第で将来の悪性インフレを招くような無軌道な金融緩和を強いられかねない危うさをはらむ。
内政だけではない。グローバル化の進展で瞬時に巨額のマネーが世界を駆け巡り、各国は国を挙げて自国通貨安を原動力に景気浮上を目指す競争を繰り広げる。新たな競争軸に合わせた新たな政策運営の模索は不可欠。日銀が大きな岐路にさしかかっているのは確かだ。
(大塚節雄)
source: nikkei
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